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このサイトを作ろうと思ったきっかけ

 初めまして。管理人のまさこです。自身も長女を中学受験させるも、余りにも多い勉強量と宿題に疑問を持ち、途中で辞めさせた経験があります。親子共々精神的にも身体的にも追い詰められるような勉強方法に、本当にこの子のためになっているのか、毎日疑問に思いつつも励まし、時には辛辣な言葉をかけてしまい、自己嫌悪の日々を繰り返していました。次第に子供から完全に笑顔が消えてしまいました。あんなに朗らかで明るい子だったのに…。毎週末に行われるテストの度にその結果にガッカリし、子供の自己肯定感は下がる一方でした。塾の先生は「テストの結果なんて気にすることないですよ!」と気軽に言うのですが、頑張って勉強して毎週結果が思わしくない事をスルーするメンタルは、私達親子にはありませんでした。こんな事を続けていたらこの子の良さがなくなってしまうのではないか…。こんな過酷な事を小学生のうちからさせるのは、少なくとも我が子には合ってないと思い、かなり迷いましたが思い切って辞める事にしました。最初は嫌がった子供でしたが、後に嫌がった理由が「見捨てられると思った」という衝撃の言葉…。そんな事で親が子供を見捨てる訳がないのですが、子供がそのように思ってしまうほどに私が追い詰めていたのだと思います。また、中学受験は親次第だなんて事を言う人もいて、そんな言葉に私も追い詰められていきました。私が頑張らないと!と変な力が入ってしまい、スケジュールや宿題の管理などしてしまい、子供がその通りに動かないとイライラしてしまったり…。そんなに都合のいいようにいかないのは百も承知なのに、つい怒ってしまったり…。塾の勉強のための家庭教師や個別に通っているお友達もいて、本当にどこまですればいいのか…。受験は課金ゲームなんて嫌な言葉もどこかで聞きました。本当にそんな事をしてでも入れたい学校なのでしょうか?その学校に入ったらそんなに将来が明るいのでしょうか?難関校に合格して入学1か月で不登校になったなんて話もあります。もちろん、受験は苦しかったけどやって良かった!というお子さんもいますし、親が管理しなくてもちゃんと出来るお子さんもいます。また結果がどうであれ、頑張ったその努力が将来必ず生きると思いますので無駄になる事は絶対にないと思いますし、むしろそこまで頑張れたお子さんと親御さんは素晴らしいと思います。けれども我が子はマイペースで何事も納得がいかないと前に進めない子でしたので、1つつまずくとそれが気になって他の単元に集中出来ない事がしばしばありました。逆境にも競争にもまだ耐性が少なく、ただ膨大な宿題を出来る限り全部やらなければ!という強迫観念で頑張っていました。今思えば親子の目標が「塾のTOPクラスに入る」に変わってしまっていたと思います。お友達と遊ぶ時間もなく、土日はテストとやり直しで潰れる日々。この時期は家族でどこにも行けませんでした。長期のお休みは全部季節講習で埋まる、宿題があるので土日・休日も勉強でした。塾の送迎にお弁当作り…親の私も「こんなに親が頑張っているのだから!」という変な見返りを持ち始め、段々と自分自身も毒されている感覚でした。親子関係もどんどん悪くなっていきました。今でも「あの時私がもっと大らかな気持ちで取り組んでいたら、子供を追い詰める事なく出来たのではないか」と後悔しています。

 受験を辞めてからも親子関係は良くない状態が暫く続きました。子供の事を思ってあえて辞めたはずなのに、どういう訳か納得いかないのです。どこかで「あんなにしてあげたのに」「もう少し違う方法ですれば良かったのでは?」という恨みがましい気持ちと後悔とが中々抜けず、自分自身も辛かったです。でも、子供はもっと辛く傷ついたと思います。色々な本を読んだり、親子関係改善のセミナーにも行きました。小さい時から色々出来る子だったので、つい期待が大きくなってしまい、結果子供を苦しめる事になってしまった事、私自身が中学受験で失敗した経験があるので子供にはそうならないようにと、知らず知らずのうちにプレッシャーをかけていた事、様々な要因がありました。こんな状態では本当に子供との関係が修復不可能になるのではないかと、かなり悩みました。しかし、そんな私を見捨てずに母として慕ってくれたのは、子供の方でした。

 気が付いたのは、変わらなければならないのは、結局親だという事です。子供を変えるよりもまず先に意識を変えなければならないのは、母親である私だという事に気が付き、そこからは、自分の意識を変える事にしました。今まで自分自身が育ってきた昭和の感覚を現在にシフトする事から始めました。昭和感覚の「根性論」や「これくらいどおってことない」と言った問題を軽視するような感覚を意識してやめるようにしました。子供の好きな事、したくない事、興味のある事にしっかり向き合っていくうちに、子供の本当の姿や望んでいた事など、今更ながら気が付く事が出来ました。子供は親を失望させないように頑張ってきた事、それがうまくいかなくて自信を無くしていた事、それに対し申し訳ないと思っていた事、自分を責めていた事…。私こそ申し訳ない気持ちで一杯でした。無償の愛は親側の感覚だと思っていたのですが、むしろどんな親でもひたすら愛し続けてくれる、子供側の感覚だと気が付きました。(もちろん、そうではない立派な親御さんもいらっしゃいます!)私には「子供は授かりもの」という子供に対する謙虚な感覚が欠けていたのです。子供のためにと思って良かれと思ってしていた事は結局私の理想を押し付けていたに過ぎず、きちんと子供と向き合っていなかったのだと思いました。また、私には「他の子は出来るのにどうしてこの子は出来ないのだろう?」という比較をいつもどこかでしていたように思います。「あなたなら出来るはず!」という強迫観念に近い期待が子供を委縮させてしまったように思います。

 実際、どうして他の子が出来る事を我が子は出来ないのだろう?と他の子と比較して悩む親御さんは多いと思います。私も悩んできました。でも、よくよく考えると、例えば小学生の時は成績も普通だった子が、有名大学に入っていたり、悪ガキだった子が大人になって企業して立派になっていたり…。残念ながらその逆もありますよね。結局、どういう事だろう、と思って調べたのですが、どうもその子の「頑張り時」があるのだというのです。確かに、自分も中学受験の時は全然気持ちが入って来ず、親に言われるがまま何となく勉強していた記憶があるのですが、そういう状態では何をしても身にならないのは当たり前ですよね。それと同じで、その子の頑張り時を信じて親は辛抱強く待つ!という「見守る」という姿勢が必要なのだそうです。長女がオンライン英会話でお世話になった日本人の先生がいらしたのですが、その方は、「息子が生きていてくれるだけで嬉しい、息子が何をするのも反対せずひたすら応援していたら、東大に入学していたのよ!」とおっしゃってました。特に進学校に行ったわけでもなく、本人の好きな様に(というかお仕事が忙しくてあまり手をかけられなかった)させてました。と。でも、息子さんが好きな物、したい事は全力で応援、サポートしたそうです。そして大学に合格した時に息子さんから「何も言わずにいてくれてありがとう」と言われたそうです。素晴らしい!でも、この「信じて」「見守る」という辛抱強い子育てこそ、中々至難の業だと思います。言う方が簡単だし自分も楽になっちゃうんです。でも、言われた子供はずっしりストレスを抱えて、不満を募らせていく訳ですから、そう思うととても刻な事を私はしていたな、と改めて反省です。親から信じて見守ってもらいながら成長すると、精神的に落ち着く→失敗しても受け止めてもらえるので安心して新しい事にチャレンジ出来る→親や大人、他人を信頼できる→そして自己肯定感が上がる!という良い事づくめ!そんな子に育ってくれるのなら、頑張って言いたい事をぐっと我慢!なんて事は私には出来ませんでした(笑)しかも言わないでいると、調子に乗っていつまでもゲームをしていたり、動画ばっかり見たりします!なので、今でも時々子供に嫌味や愚痴は言っちゃいます。子供にキレられて本気で喧嘩にもなります。ですが、そうやって本音でぶつかっていけるようになったのは、以前では考えられなかったので大きな前進だと思っています。子供が本当の気持ちをいつでも親に言って、私も否定はせずに話を聞いて、話し合いが出来るようになりました。でも、勉強の事だけは、我慢して言わないようにしています。テストで変な点を取ったりしても、怒らずに一緒に分析したり、どうしたら次のテストに活かせるのか話し合ったり、励ましたりしました。すると、そういう小さな事から徐々に信頼関係が改善し、今では積極的に疑問に思った事を自分で調べたり、私に聞いてくれるようになりました。以前では考えられなかった積極性が身に着いたように思います。我が子は詰め込み式の学習は向かないうえ、何事も自分が納得しないと前に進めない、時間がかかる子ですが、自分で考え、調べ、自分なりの結果を導き出す力を付けつつあると思っています。娘の頑張り時は小学生ではなく、もっと彼女自身が成長してからなのかな、と思っています。

 このサイトでは、小学生の思考が柔軟な時期にこそ、中学受験の勉強で無理をさせずにゆっくりお子さんのペースで勉強し、しっかり基礎固めをして、お子さんの「好き」や「興味のある事」に全力で「見守って」頂きたい、そして親子の楽しい会話や時間を沢山作ってあげて欲しいと思っています。良好な信頼関係で結ばれたお子さんはきっと安心して外の世界に羽ばたいてくれることでしょう。そしてそれを全力で応援していける親になっていたいものですね。自分自身が肯定され充実感があれば、きっと他人にも寛容になれると私は思っています。将来そんな子が多くなったら、多様性も益々広がり、もっとみんなが生きやすい、新しい社会になってくれるのではないかと思っています。長文、駄文をここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。少しでも皆様のお役に立てたら嬉しいです。これからも一緒に子育て頑張っていきましょう!      まさこ